運動やスポーツ産業の経営者・指導者に求められる仕組み・ビジョン
2015.07.06 月 オリジナル連載ハーバード公衆衛生大学院博士課程に在籍する傍ら、米国大手広告代理店マッキャンワールドグループ・ヘルスケア部門にて、戦略プランナーとして活躍する日本人女性がいる。名前は”林英恵”。
本連載では健康に対する考え方、エビデンスに基づくアプローチ方法を彼女自身のユニークな経験談も含め解説していく。
今回は、特別篇としてスポーツと運動の研究者で、現在、ハーバード大学医学大学院およびブリガム・アンド・ウイメンズ病院予防医学科で研究を行っている”鎌田真光氏”とのインタビュー対談を三週にわたり配信する。
最終インタビューのPart.3では鎌田氏が感じる「運動やスポーツ産業の経営者・指導者に求められる仕組み・ビジョン」をお伝えする。
【バックナンバー】
・論より証拠 -序章
・論より証拠 -その1 エビデンスとは
・論より証拠 -その2 文系の私が科学の世界に入って驚いたこと
・論より証拠 -特別篇- 運動・スポーツ環境における日本とアメリカの違い
・論より証拠 -特別篇- スポーツ産業に携わる経営者や指導者にとっての”エビデンス”の 重要性
林:鎌田さんの視点で、今後、フィットネス業界の経営者に求められるものは何だと思いますか?
鎌田:指導者や経営者の方には、ぜひ「シェア拡大」ではなく、「マーケット拡大」という発想でビジネスを発展させていただきたいと思っています。
具体的には、既存のフィットネス・ジムに来ている人、道具を買っている人を対象としたシェア(パイ)の奪い合いではなく、日本でも圧倒的に多い、フィットネス・ジム等に来ていない人、全く関心がない人をマーケットに取り込むためには、どういったビジネスのあり方がよいのかという視点で考えてみてはいかがでしょうか。そうすると、日本国民の中にも、こんなにたくさんリーチ出来ていなかった人がいたのか!という人たちが見えてくるでしょう。
女性専用フィットネスクラブ「カーブス」の増本岳会長兼CEOが、「『病気と介護の不安のない高齢化社会をつくる』という理念に照らせば、会員数100万人では全く足りない。」とおっしゃっています(参照:2014年11月10日の日経ビジネスオンラインインタビュー記事)。50代から70代の女性が2,500万人として、会員数100万人でも、わずか4%のシェアに過ぎない、と。私たち健康政策に関わる研究者も、こうした視点で日々模索し、各地で行政機関と一緒に奮闘していますので、経営者の皆さんともビジョンを共有して、国民100%が(それぞれに応じて)アクティブな社会を目指したいと思っています。
また、経営者や指導者の皆さんも含め、政策などを通して社会の仕組みを変えていくためには、エビデンスは、自分たちが発信するメッセージの根拠を確認してもらうために、必要不可欠な要素です。
林:具体的にアイディアはありますか?
鎌田:突拍子もないアイディアのように聞こえるかもしれませんので、まず基本に立ち返って話を進めますと、運動・スポーツ含めて、からだを動かすことの総称は「身体活動」と言います。その中で健康・体力づくりなどを目的として意図的に体を動かすことを特に「運動」と呼び、その他の家事や移動などの活動は「生活活動」と呼ばれています。(下図:イメージ)
今のフィットネス業界のほとんどは、「運動」の部分に焦点を当てており、生活活動が少ないので運動をしましょうという流れになっています。そうではなく、運動する時間がないとか、運動が好きではないという人の体を動かす活動を増やすために、「生活活動」を充実させる手伝いをしていくということも、大きなビジネスの機会になると思います。例えば、都市部で見られる自転車シェアは、日々の移動という「生活活動」に焦点を当てたフィットネス・ビジネスでもありますよね?ロンドンの自転車シェアが利用者の健康に与える影響はシミュレーション研究で明らかにされています。日本の田舎だとどういうことが出来るのでしょうか?既存の「教室」→「指導者」→「参加者」というモデルを取り払った上で、自治体や国との協働も視野に入れることで、とてつもなく広い新たな領域を開拓できるのではないでしょうか。
林:アメリカにいると、こういったエビデンスを、フィットネスをはじめとした実践の世界でうまく利用しているなあというイメージがありますが、実際はいかがですか?
鎌田:そうですね。例えば、最近、スタンディング・デスク(立ったままで仕事ができるような机)の導入が流行っていますね。仕事の中に「体を動かす」時間が入れやすくなりますので、まさに生活活動を充実させるアイディアです。近年、特に海外では、座位行動(sedentary behavior)といって、仕事や勉強、テレビ視聴や娯楽なども含め、座ったままでいることが健康によくないというエビデンスが多く伝えられるようになり、その結果、なるべく座る時間を減らした生活を実践する人が増えています。実際、座ったままの時間が長い人は、たくさん運動をしていたとしても、死亡率が高いという研究成果も出てきました。
座位・立位の両方に合った高さに調整可能なスタンディング・デスクや、ノートパソコンを置くための持ち運び可能な台など、こうした研究知見の広がりを見越して様々な商品を開発する企業が出てきました。中には、ハーバードの卒業生が立ち上げたベンチャー企業もあります。こういったビジネスでの広まりが逆に科学の世界に刺激を与えることも事実です。企業と協力して座位時間を減らす具体的な対策に焦点を当てた研究も日本を含め、多く見られるようになりました。こういった循環がビジネスと科学の世界で起こりだすと、非常に面白い相乗効果が生み出されますね。
林:日本でもこのような循環がより活発になると良いですね。
鎌田:その通りです。日本は、先ほども言った通り、運動と生活の垣根が非常に低い国だと思います。垣根が低くなると人々が運動に取り組みやすくなります。例えば、住んでいる地域の景観の良さと、体を動かすことに関連があるという研究もあります。景色がいいと、自然に外に出たいと思い、運動をしようと思わなくても、体を動かすことにつながります。
実際、日本で研究を行った時に、ウォーキングをしている中高年にインタビューすると、動機は「花や山、自然を楽しみたい」ためであり、必ずしも「運動したい」ためではありません。こういった意味でも、自然が多く残っていたり、治安が安定している日本は、生活の中で体を動かすことが根付いている国だと思います。ですので、運動に焦点を当てたビジネス活動ももちろん大切ですが、生活活動に焦点を当てたビジネスも、大きな機会の創出、そして、人々の健康増進につながると思います。
林:鎌田さんが思う、研究者と経営者、指導者が一緒に取り組めることは何ですか?
鎌田:日本でもアメリカでも、研究者のコミュニティとフィットネス・ビジネス関連の実践者(指導者・経営者)のコミュニティは基本的には分かれて活動しているように思います。だからこそ、エビデンスをつくる側の研究者と、普及させる側の実践者が交流する場を、それぞれの団体が協力して確保することは大事と考えます。そうしたコミュニケーションの中から、これまで申し上げたような観点も含めて、新たな取り組みのアイディアが生まれてくるのではないでしょうか。
例えば、アメリカでは、学術団体(American College of Sports Medicine)がインストラクターの認定を出していたり、学術系の学会でインストラクターと研究者が交流する機会をもったりしています。エビデンスをつくる側の研究者と、普及させる側の実践者が交流していて、それぞれの団体が交流の核として機能しています。このような姿勢は、学べることが多いのではないかと感じます。
私自身、ずっと大学にこもっていた研究者というわけではなく、大学院修士課程の2年目から6年間は、島根県雲南市という人口4万人ほどの市が作った小さな研究機関(身体教育医学研究所うんなん)で市の職員として働いていました。子どもから高齢者まで、全世代を対象として、市民の健康増進を目的に教育・評価・研究事業にあたりました。地域の中にどっぷり浸かることで、フィットネス関係の方も含めて多くの方と一緒にお仕事させていただきました。こうした日々は、まさに研究知見を実践に還元する機会と、日常生活の中から生まれる研究アイディアの発見に溢れていました。ビジネスの力で研究者のアイディアを実現させる、あるいはビジネスの取り組みを研究者が分析するといったように、お互いの強みを生かした協働が出来ると良いのではないでしょうか。
また、研究者としては、経済格差等が関わる健康格差から目を逸らすわけにはいきませんので、そうした問題の解決にも貢献する新たなフィットネス・ビジネスを創り上げられると画期的だなと思っています。
林:実践者がよりエビデンスに接する場はありますか?
鎌田:厚生労働省が示したガイドラインや健康・体力づくり事業財団のデータベースなどがありますが、日々、新しい知見が生み出され、変わっていくものでもあります。繰り返しになりますが、業界と学術団体とが協働してエビデンスを共有するような場を設定することが求められていると思います。これまでやっていなかったことが良いと分かったり、その逆も然りで、やっていたことが危ないと分かるかもしれません。そういったことも含め、研究者と実践者がオープンに話を共有できる場所をつくっていくことはとても大切だと思います。
取材を終えて、鎌田さんの使命だと言っていた「後世に豊かな生を」という言葉が心に残っています。自分の健康はもちろんのことですが、フィットネス・ウェルネスの世界に携わる実践者、研究者は、「後世に何を残せるか」を考えていかなければならないと感じました。エビデンスがビジネスに影響を与え、ビジネスがエビデンスの探求を活性化させる―『ウェルネスポスト』をつくる皆さんと、こんな取り組みが日本でできたらと思いました。
論より証拠 -特別篇- 完
>>>Profile
鎌田 真光(かまだ まさみつ) 博士(医学)
ハーバード大学医学大学院およびブリガム・アンド・ウイメンズ病院予防医学科 博士研究員。国立健康・栄養研究所 健康増進研究部 流動研究員、日本学術振興会海外特別研究員。
1982年宮崎県生まれ。 東京大学教養学部理科Ⅰ類入学。 在学中に同級生らと「マンガ運動器のおはなし-大人も知らないからだの本-」を執筆、書籍は全国の小学校等に計20万部が無償配布され、平成17年第1回東京大学総長賞受賞。同大学院教育学研究科 身体教育学コース 修士課程に進学後、2006年から2013年まで、島根県の中山間地域に拠点を置き、身体教育医学研究所うんなん(島根県雲南市立)にて研究員として地域の健康づくりやスポーツ教育に携わる。2013年島根大学大学院医学系研究科にて博士号(医学)取得。(独)国立健康・栄養研究所健康増進研究部(当時)を経て、2013年12月より渡米。主な研究テーマは、身体活動(運動)の促進を通した健康づくり、スポーツ障害の予防。研究論文は、Preventive Medicine等の学術誌に掲載されている。
HP:http://researchmap.jp/kamada/
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・論より証拠 -その1 エビデンスとは
・論より証拠 -その2 文系の私が科学の世界に入って驚いたこと
・論より証拠 -特別篇- 運動・スポーツ環境における日本とアメリカの違い
・論より証拠 -特別篇- スポーツ産業に携わる経営者や指導者にとっての”エビデンス”の 重要性
>>>Write by Hana Hayashi
林 英恵
パブリックヘルス研究者/広告代理店戦略プランナー
1979年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部を経て、ボストン大学教育大学院及びハーバード公衆衛生大学院修士課程修了。現在同大学院博士課程在籍。専門は行動科学及び社会疫学。広告代理店マッキャンワールドグループニューヨーク本社でマッキャングローバルヘルス アソシエイトディレクターとして勤務。 国内外の企業、自治体、国際機関などの健康づくりに関する研究や企画の実行・評価を行なっている。夢は、ホリスティックな健康のアプローチで、一人でも多くの人が与えられた命を全うできるような社会(パブリックヘルスの理想郷)を世界各地につくること。料理(自然食)とヨガ、両祖父母との昼寝が大好き。著書に『それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと』(あさ出版)。また、『命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』(小学館)をプロデュース。