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教大学スポーツウェルネス学科で教鞭をとっていた沼澤秀雄先生との縁にも後押しされて、「スモウコアエクササイズ」を主力商品とした起業が現実味を帯びてくる。そして帰国から3年が経った3月、米国でのIHRSAコンベンション開催時期に合わせて会社を退社した。2006年のことである。坂田さんは当時の思いをこう話す。 「四股、腰割り、てっぽう、すり足といった相撲のトレーニングは、伝統の中で受け継がれてきた究極のファンクショナルトレーニングで、時代が変わっても修正の必要がない普遍的なトレーニングです。フィットネスクラブも大好きで良く通っていたのですが、『こんなに素晴らしいエクササイズがあるのに、それを活用しないなんてもったいない』と感じていました。とにかく、これを商品化し、グループレッスンにして多くの人に日本の伝統エクササイズの革新性と楽しさを知って貰いたいという気持ちが止められなくなったのです」 自分のアイデアの有用性を確かめようという気持ちもあり、起業前にIHRSAに参加。アイディアを披露したところ、数社から具体的に提案してほしいとの打診があり、3ヶ月後に再渡米。しかし、この出張で大きな方針転換に迫られることになる。主力商品に位置づけていた「相撲エクササイズ」より、エクササイズの付属品との位置付けで開発途中だった試作品の「フレックスクッション」への反響のほうがはるかに大きかったのだ。「フレックスクッションだけ欲しい」という声もあり、落胆と希望の中、会社を登記した坂田さんは、フレックスクッションの開発と商品化を優先的に進めることにした。商品仕様は頭の中で完成している 坂田さんの商品開発には特徴がある。「フレックスクッション」に関しても、後述する「カブキグラス」にしても、開発前からその商品の完成形が坂田さんの頭の中にクリアに描かれているという。その形状や素材、使用方法や使用感にいたるまで、頭の中で完成している。従って、坂田さんの商品開発は、その自分が描いた完成形を実現できる人を探すことに絞られるわけだ。 フレックスクッションでは、約50社にのぼる会社や工場を回り、自分の頭の中にあるアイデアを形にできる人を手繰り寄せた。 「『土俵の俵』がヒントなので、『高さ』『傾斜』『表面がすべらない』の3つがポイントになるということはわかっていましたが、思いの外苦労したのが、内部のクッション素材をカバーの素材にピタッとはめ込む部分。硬さにもこだわっていたので微調節も繰り返し、試作品は10個以上つくりました。もちろん資本金はすぐに底をついて、開発にかかった約1年半は売り上げもありませんから、給与もなし。会社時代に貯めたお金もすっからかんになりました(苦笑)」 こうして、2006年11月、ついに自分の頭の中に描いたとおりのフレックスクッションが完成し、販売をスタートさせた。奇跡の出張 資金的にも後がない坂田さんに最初の奇跡が訪れたのが、発売から3ヶ月のとき。ベンチャーフェアに出展したことをきっかけに、当時日本陸上競技界ではナンバーワンと評されていた福島大学陸上部での採用が決定した。さらに、坂田さんが「奇跡の出張」と名付ける2007年2月の宮崎出張で、プロ野球チームと強豪実業団陸上部での導入が決まる。 これに続き、2007年7月には、株式会社ティップネスでグループエクササイズ「アクティブストレッチ」として全店導入が決まり、大量に受注した。 トップアスリート業界とフィットネス業界に採用実績ができたことで、その後の販売にも弾みがついた。アスリートたちにはクチコミやメディアを通じて広がり、フィットネスクラブには、レッスン導入と物販による利益貢献ができるビジネスモデルで提案していった。商品の耐久性の高さも評価されて現在も好調に導入店舗や販売個数も増えている。 こうした日本での実績を背景に、2010年には、米国のファンクショナルトレーニングギアや指導者育成でトップ企業と目されているパフォームベター社とも取引をスタート。米国のオリンピック選手などのトレーニングにも利用されるようになり、販路も構築。日米両方の市場で販売を伸ばせる体制が整った。人生あと3日なら何をするか フレックスクッションの販売がスタートしてから5年が経ち、会社としても軌道に乗った2011年、東日本大震災が起きる。坂田さんは、その時、アメリカ出張中だったものの、その後の混乱を体験して「人生一度きり。いつ何があるか分からない」と感じた。そこで「人生があと3日しかないとしたら何をしたいか」と考えた時に浮かんだのが、フレックスクッションと同様に、ロシアの劇場で思い描いた「ハンズフリーで究極のオペラグラス」の商品化だった。震災後、世の中が少しずつ日常を取り戻し始めた5月、早速開発に着手した。 ここでも、とにかく自分が実現したいものを作ってくれる人をとことん探した。その結果、日本最高レベルの技術者と出会い、開発から約2年で完成形をつくりあげた。坂田さんはこう話す。 「フレックスクッションの経験が至るところで役にたちました。フレックスクッションの開発で学んだことは『不可能はない』ということ。誰かにできない、と言われても、できる方法は必ずある。カブキグラスでもなかなか思うようなものができないときは、くじけそうになりましたが、『自分の理想に対して正直で、そして妥協しないこと』が商品力に繋がると信じていました。販売開始にあたっても、プレスリリースやプロモーション、販路開拓も、既にフレックスクッションで築いてきたネットワークが支えてくれましたし、フレックスクッションで生産を国産にこだわって、品質や信頼関係を大切にしてきたこと、さらにフレックスマーケティングから営業活動まで自ら動く。国内から海外まで果敢にネットワークを広げる坂田さん「相撲エクササイズ」の付属品として開発していた「フレックスクッション」がメインの商品に12March,2014 www.fitnessjob.jp

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