『月刊NEXT』 No.47
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月刊NEXTPCFebruary,2011 www.fitnessjob.jp31※川崎病(かわさきびょう、英: Kawasaki disease, KD)は、おもに乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患。小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(英: MucoCutaneous Lymph-node Syndrome, MCLS)とも言われるが、世界的に川崎病 (KD) が一般的。1961年に日本赤十字社の小児科医・川崎富作が患者を発見し、1967年に報告し名づけられた。病名は、発見者である川崎富作にちなむものであり、川崎市や川崎公害、川崎医科大学とは無関係である。ウィキペディアフリー百科事典より生まれの東京育ちで高校生だった本間君からしてみると、東北と言う地はあまりにも未知の世界だったのであろう。その後、本間君はお姉さんも通っていたという都内の体育系専門学校に進学した。 「姉が専門学校で頑張っている姿に影響を受けましたね。とにかく学校生活が楽しそうだったことが印象に残っています」 入学当初はウェイトトレーニング指導部に所属していたというが、同じ時間に隣のスタジオで行っていたエアロビックダンス指導部が気になりだしたという。 「エアロビクスが気になった訳ではなく、女子が気になっただけなんですけどね(笑)」 なんと本間君は、そんな下心いっぱいの動機で、エアロビックダンス指導部に所属を変えた。しかし、入部してみるとエアロビクスの特異な魅力に引き寄せられていく。 「音楽に合わせて行うグループ運動指導は、やることすべてが新鮮で、一気にエアロビクス指導の面白さに取りつかれました」 そして、在学中にも関わらず、フリーのインストラクターとしてデビューを果たした。卒業後はフィットネスインストラクターを派遣する会社に数年間社員として勤め、現在はフリーでインストラクターをする傍ら、イベントやセミナー、スクールの講師、メディア出演等をこなすなど、多忙な毎日を過ごしている。 今回、本間君に取材依頼を申し込む際に、本間君をよく知るインストラクター数名に彼のリサーチをしたところ、一様に「本間君はいいですよ!」と皆 「学校の水泳の授業の時に、私だけ帽子に×印をつけられていたんです。疾患があるから要注意児童という印なんでしょうが、×はないですよね。しかも、水泳は学校で一番早かったにも関わらずですから」 その学校一早かった水泳は、小学校3年から中学3年まで、スイミングスクールの選手コースに通い、月曜日~金曜日の週五日、トレーニングを続けたという。 「正直、水泳は義務感でやっていましたので、一つも楽しいと思った事はありませんでした。小学校高学年の時に、試合に行った先で無性に辞めたくなり、一人で電車に乗って帰った位です(笑)」 この時は、後日ご両親がコーチに謝罪し事無きを得たが、頭を下げる両親の姿を見て反省し、心を入れ替えて練習に励んだという。しかし、どうしても水泳を好きになれず、中学進学時には水泳部には入らなかった。 「中学では軟式テニス部、高校では野球部に入りました。水泳と違って、高校で本格的に始めた野球に面白さを感じ、高校3年間は野球中心の学校生活でした」 今の本間君からは想像もできないが、坊主頭に土まみれのユニフォームで毎日ボールを追いかけていたという。その腕前はというと、大学推薦を受けるほどのかなりのレベルであったらしい。 「野球で大学推薦の話もありました。でも、その大学が東北の大学だったということもあり、なかなか踏ん切りがつかず、結局お断りしました」 私ごとだが、スキーでの大学推薦を目の前にしながら、3年時に結果を出せず、直前に消滅した私からすれば、〝もったいない〟の一言なのだが、東京でしょう。余談ですが、子供嫌いで有名だった私の親友は、自分の子供が生まれたその日に、「恥ずかしいんだけど、頭の中がおかしくなる位かわいい!」とメールをしてきた。子供というのは、大人一人の価値観を180度変えてしまう位のパワーを持つ、本当に神秘的な存在だ。 父親になった本間君であるが、子供のころはどんな少年だったのだろう。 「1歳くらいの時に、川崎病(※)という、いまだに原因がはっきりしていない病気にかかり、毎年心電図を取りに行っていました。特別、目立った症状がでるわけではないので、健常児童と同じように勉強も運動も遊びも何も制限のない生活をしていたのですが…」 運動の能力については、頭一つ抜け出す位突出して何でも出来たらしいが、この病気が原因で嫌な思いをしたという。が太鼓判を押した。何が良いのか?これも一様に、「彼の人間性は本当に素晴らしい!」というものだった。この人間性こそが、現在彼が多くの人、企業から必要とされる所以であることは、今回お話を伺った数時間で理解できた。素直な受答え、驕った部分など微塵もなく、ついつい先輩風を吹かせてしまう私の話にも真剣に耳を傾けてくれた。彼は、話す事よりも〝聞く〟事の方が数倍大切だということを、本能的に理解できていると感じた。前述したが、彼は現在、事業形態を法人化する方向で動いている。現状、法人化しているフリーインストラクターは数多く存在しているが、その理由はと言うと、起業家への憧れからくるあやふやな動機だったりするケースも少なくない。しかし、本間君は明確なビジョンと計画性を持って起業に踏み切っている。 「多くの方々にフィットネスの重要性を知ってもらいたいと思っています。しかし、私一人の力で伝えられる範囲には限界があります。そこで、組織を作り、同じ方向を向いている人たちの力を借り、理想とするフィットネスライフスタイルを具現化していきたいと考えています」 更に印象的な台詞を付け加えてくれた。 「会社を興す事は夢やゴールではなく、ただの通過点でしかありません」 会社を立ち上げるにあたり、税理士さんや会計士さんと綿密な打ち合わせを繰り返しているとの事だが、この言葉を聞いて、法人形態の本質を理解できた上で、起業家への道を歩もうとしていることが見て取れた。 最後に本間君よりも若い世代のインストラクターへのメッセージを伺った。 「とにかく志を高く持って欲しい。夢や希望を明確にビジョン化し、参加してくれるお客様の考え方や生活までも変えられるような、影響力のあるインストラクターが育ってきて欲しいと思います」 本間君の起業家としての成功を祈り、今回の章を終わりたいと思う。取材後記有限会社スポーツゲイト代表取締役社長有限会社スポーツゲイトホームページURL:http://www.sportsgate.co.jp個人BLOG:http://sportsgate.blog81.fc2.com/今回の取材中本間君は、「ほんとヤバいっすね」を連発していた。何がヤバいのか?本文にも書いたが、お子さんが可愛過ぎてヤバいらしい(笑)。でれでれの表情でお子さんの話をする本間君は、幸せオーラを全身から放っており、話を聞いているこちらまでも温かい気持ちにしてくれた。反面、「仕事に対する信念は絶対にぶらさない」と、表情を引き締める場面もあった。最近汚れかけている私を浄化してくれるような、澄んだパワーを頂けた本間くんに感謝したいと思う(苦笑)。INTERVIEWER 丸山 寛このインタビューが動画でも楽しめます!PC/iPhone対応NEXTデジタルブックからご覧いただけます。今回のゲスト・本間友暁さんと丸山寛さんのインタビュー現場レポートとサイト限定のスピンオフトークを公開!誌面がもっと楽しめる内容満載です。iPhone

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